魅惑の国の“陰と光”
                           田辺国際交流協会運営委員 吉田耕司

慰霊塔の中の骸骨

 1月2日から7日まで、第5回カンボジア派遣が実施された。
今回で私個人は6回目になるが、全員役員さんたちを引率して行くというのは
今回初めてであった。カンボジアと初めて関わったのは1981年に私の父親
たちのグループに参加して、タイとカンボジアの国境付近にあった難民キャン
プへ慰問に行ったことが最初であった。当時はまだ内戦中で、引率してくれた
タイの兵隊たちに、いつジャングルからミサイルが飛んでくるか分からないか
ら移動を急ぐようにせかされた、当時のあの緊迫感を思い出す。

 さて、最初に向かったプノンペンではいつも見学に入れているツールスレン
というポルポト時代(
1975年〜
1979年)の拷問所跡へ行くことになるのだが
今回はその前にキリング・フィールドと呼ばれる処刑跡へも行くことにした。
私も初めての場所だったのだが、大きく掘られた処刑のための穴が残り、殺さ
れた人たちの来ていた服の一部や赤ん坊を投げ、打ち付けて殺したという木な
どを見た。そこに佇むとまさに生き地獄が30年ほど前にここにあったことを
知り、戦慄で凍り付いてしまう。のどかなあたりの風景とは対照的である。いったい何があのような理不尽で残虐な行為に駆り立てたのだろうか。ポルポトの主義と妄想とで、約200万人とも言われる人たちが何の言われもない罪で殺されたのである。この暗い時代とその後の内戦の傷は決して浅くなく、今もこの国と国民に陰を落としている。地雷もまだ地方では数百万も残っている。

 しかし、そうはいうものの、内戦が終わり、国内が安定してきた今は人々の表情も街の様子も変わりつつある。車やバイクが街を縦横無尽に走り、店もたくさん増えずいぶんにぎやかになり、土地の値段も高騰している。明らかにカンボジアは復興しつつあるといえる。制服を着て学校に向かう子供たちも増えたように見える。驚いたことに中国や韓国企業の投資が増え、今や日本をしのいでいるそうだ。観光客も今は、韓国が一番多く、その次は中国だそうだ。数年前は日本人が一番多かったことを思うとずいぶん変わってきている。車も韓国車が今は一番人気だそうだ。日本人としてはちょっと残念な気持ちである。

 次に向かったのがシエム・リアップ市である。クラウ村にある「やまなみ塾」とスナーダイ・クマエ孤児院を訪問するためである。「やまなみ塾」では英語を使ったゲームや英語の歌を教えたが、人数が多くまた年齢にかなり差があり、しかも英語の力もまばらので、用意していたいろんなゲームがあまり使えなかった。子供たちと植林をするという体験もした。明るく元気な声で英文を先生の後に続けて暗唱する子供たちには印象づけられた。日本から持っていった遊具や和田先生が日本の子供たちから預かった学用品を塾の子供たちにプレゼントして喜んでもらった。 毎回訪問させてもらっているスナーダイ・クマエ孤児院の子供たちは日本語もでき、人数も今は20名くらい(少し以前より減った)なので、かなりやりやすかった。孤児院では彼らの好物のカレーも一緒に作り、喜んでもらった。

  カンボジアは今、一般の人たちとリッチな企業家たちとの経済格差、それから地方に住む人たちと都市に住む人たちとの経済格差が顕著になりつつある。街の様子も年々変わりつつある。投資目的で土地転がしをする外国企業も多い。スナーダイ・クマエ孤児院へつづくあの砂埃のひどかった道も良くなり、周囲にいろんな物が建ってきたので見違えるほどである。この変化が良いのかどうかは微妙だが、カンボジアに必要なのは何といってもまず教育だと思う。国を引っ張っていける人材を育てて行かなくてはいけない。ところがカンボジア政府は全くお金がないという。日本はもっともっと人的援助や交流をもっと行うべきだろう。現地で頑張っている、志ある日本の人たちを見るとわれわれも刺激を受ける。それにしてもカンボジアの子供たちは豊かでない生活にもかかわらず、明るく、目も輝き、元気な子が多い。可愛いその笑顔に魅せられて住み着いた日本人も多い。クメール料理も果物は安いしおいしい。壮大なアンコール遺跡は人々を感動させる。このアジアの最貧国の一つであるカンボジア、そして魅力あるこの国は日本の若い人たちが訪問すれば、すばらしい教材となると思う。豊かになりすぎて、意欲が乏しく、何をしていいのか分からない若者たち、道徳観や倫理観が失われ、お金だけが目的のような生き方が蔓延する社会は果たして豊かな国と言えるのだろうか。いろんなことを考えさせてくれる経験となるだろう。

最後に今回お世話になった、奥澤俊(チア・サンピアラ)氏、ソクラディ氏、孤児院代表のメアス博子さん、スタッフのソッカーさん、日本語の先生の佐々木愛さん、クメール織物復興に尽力されている森本喜久男氏に感謝します。そして何より今回の「やまなみ塾」をお世話してくれたチア・ノール、小出陽子さん夫婦に感謝したいと思います。

<訪問場所>  プノンペン---ツールスレン収容所跡、キリング・フィールド、王宮。
        シエムリアップ
---アンコール・ワット、アンコール・トム、タ・プローム、                              
                 アキ・ラの地雷博物館、森本クメール織物研究所
                 スナーダイ・クマエ孤児院クラウ村「やまなみ塾」
トンレサップ湖